クズ芸人「小堀さん」は社会を映す鏡?人間らしさと許容の限界を考える

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クズ芸人「小堀さん」は社会を映す鏡?人間らしさと許容の限界を考える

こんにちは!関達也です。

『ザ・ノンフィクション』で放送された「クズ芸人の生きる道 ~57歳 婚活始めます~」。この番組をご覧になりましたか?

この回、まさに“神回”と言ってもいい内容でした。

観ていない方にも知っていただきたいのが、クズ芸人・小堀敏夫さんの生き様です。小堀さんの行動は放送後に大きな話題を呼び、多くの人が「これはヤバい」と感じたことでしょう。

相方に土下座して借金を頼み込み、ラーメン店での修行初日に遅刻してクビになる。そして、婚活でも自分の話ばかりで相手に呆れられる。

信じられない行動の数々は、正直「人間のクズ」と言われても仕方がないレベルです。

でも、僕はこの番組を観て、「ダメなやつだな」と片付けられない“何か”を感じたんですよね。彼の行動が許されることは少ないけれど、それでも「こういう人がいてもいい」と思える余白が、どこかで心を和らげるのかもしれません。

突き抜けたクズが持つ、人を惹きつける理由

小堀敏夫さんは「開き直りの天才」だと思います。普通の人なら恥ずかしくて隠したくなる失敗も、彼は堂々とさらけ出す。それどころか、開き直って次の行動に移っています。

例えば、相方の室田稔さんに出家先のあっせんを頼む場面では「(上杉)謙信も(武田)信玄も出家してる」と言い放つし、激怒した相方から張り倒される。婚活に至っては「お金持ちの女性と結婚して養ってもらいたい」という発言が飛び出します。

社会のルールやモラルをことごとく無視した言動は、呆れを通り越して清々しさすら感じます。

この姿勢、自分に正直に生きているとも言えるんじゃないでしょうか。彼のような「突き抜けたクズ」に惹かれる理由は、この正直さと行動力にあるのかもしれません。普通ならプライドが邪魔して言えないことを言い、やれないことをやる。その姿勢が、どこか面白く映るんですよね。

失敗しても許される社会の余白

失敗しても許される社会の余白

小堀さんの失敗は、すべて行動の結果です。でも、その行動が常に周囲の共感を得るわけではないんです。土下座で借金を申し込み、相方を激怒させるなど、人間関係の悪化を招くことも少なくないのです。

それでも彼は動き続けます。バイトを遅刻して怒られ、婚活で連敗し、出家して2日目で脱走する──すべてが彼の「行動した証」です。

普通なら「失敗したら恥ずかしい」「みっともない」と思って動けません。でも彼は、そんなこと気にせず次の一手を打ち続けているんです。

僕も挑戦を続けていますが、正直に言えば失敗の方が多いです。新しいビジネスを始めても思うように軌道に乗らなかったり、計画していたことが途中で頓挫することもあります。良かれと思い自分を信じてやったことが、結果的に他人から見れば身勝手でクズのように映ることもありました。

でも、その時は自分なりに必死で、ただ生き抜こうとしていたんですよね。

そして、ふと気づくんです。誰にでもクズと思われる瞬間があるのではないかと。大なり小なり、僕らも誰かを困らせたり、期待を裏切ったりすることがあります。小堀さんのような存在を見ていると、自分もいつその立場に立つかわからないと考えさせられます。

だからこそ、こうした存在に安心感を覚えるのではないでしょうか。

それがどんな形であれ、私たちが“許せる余白”を持つことで、挑戦や失敗を恐れずに生きられる人が増え、社会全体がもっと柔らかく、住みやすい場所になるはずです。そんな社会なら、失敗を恐れずに挑戦できる人が増え、未来がもっと豊かになる気がします。

許せないのに、なぜか安心する存在

ツッコミどころ満載の小堀さんの行動は、人を惹きつける部分もありますが、失笑や怒りを買う場面も少なくありません。彼は崖っぷちの状況でも、それを笑いに変える強さを持っています。

彼のような生き方が成立するのは、社会に残る寛容さがあるからこそかもしれません。

彼の行動は現実感が薄く、まるでフィクションの登場人物のように感じられる瞬間があります。そのため、ドラマやコントを観ているような気分にさせられるのです。

でも、現代は他人の失敗に厳しく、許さない風潮が強まっているんですよね。SNSでは一度のミスが大炎上し、すぐに「許されない人」になってしまう世の中です。そんな中で、彼の姿はどこか懐かしく、まるで昭和のコメディ映画を観ているような安心感を与えるのです。

『こんな人がまだいるんだ』と感じることで、社会が完全に効率や規範だけで回っていないことにほっとするのかもしれません。

彼が生きていける余地があることで、僕らもまた、自分の不完全さを許せる気がするのです。完璧であることを求められる現代で、彼のような存在が「それでも大丈夫だよ」と語りかけてくれる気がするんですよね。

もし、身近に小堀さんがいたら?

もし小堀さんのような人が身近にいたら、どうでしょうか?家族、職場の同僚、あるいは友人だったとしたら…。

正直、迷惑に感じる場面も多いでしょう。約束を守らない、遅刻する、突拍子もないお願いをしてくる。そんな行動に振り回され、怒りや不信感を覚えることもあるかもしれません。

それでも、彼が時折見せる正直さや飾らない言動に、心がほぐれる瞬間もあるのではないでしょうか。

『またやらかしてるよ』と笑い飛ばせるのは、その人が自分の失敗を堂々と認めるからこそかもしれません。小堀さんのような存在は、ただ迷惑なだけでなく、“人間らしさ”を教えてくれる存在なのかもしれません。

僕自身、身近にこんな人がいたらどう接するだろうと考えました。距離を置くのか、それとも笑いながら見守るのか…。結局、人それぞれの価値観や受け入れられる“余白”の広さによるのかもしれませんね。

クズを許せる社会と許せない社会の狭間

クズを許せる社会と許せない社会の狭間

小堀さんのような存在が「許される社会」は、ある意味で成熟した社会の証とも言えるでしょう。でも、その一方で「クズを許さない社会」が強まっているのも事実なんですよね。

なぜ、今の社会は失敗に対して厳しいのでしょうか。SNSの発達によって個人のミスが即座に拡散される時代、人は失敗を恐れ、慎重に行動するようになっています。こうした背景が、人の過ちに対して過剰に反応する風潮を生み出しているのかもしれません。

小堀さんの生き様は、そんな世知辛い世の中に対するアンチテーゼのように映るんですよね。

たとえば、日本社会では『失敗したら終わり』という風潮が根強くありますが、海外では“挑戦して失敗すること”を成長の過程と捉える文化もあります。小堀さんのような存在は、後者のような社会でこそ生きやすいのかもしれません。「クズでも生きていける」という姿に、私たちはどこか安心感を覚えるのです。

なぜ自分は彼を見て笑ってしまうのか。それは、自分が失敗を恐れて、安全な選択ばかりしていることに気づかされるからかもしれません。彼の姿には、失敗を恐れず行動する勇気が映し出されているのです。

小堀さんのような人が日本社会で目立つのは、挑戦や失敗が許されない風潮の中で、その対極にいるからではないでしょうか。彼の行動は、効率や規範に縛られた社会に「それでも生きていいんだよ」というメッセージを投げかけているように感じます。

この番組を観て、そんなことを改めて考えさせられました。結局、完璧ではない人間同士が支え合い、許し合う社会こそ、僕らが目指すべき未来なのかもしれません。

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