【キリング・フィールド(チュンエク)に行ってきました〜2つの奇跡と負の遺産の存在意義】
キリング・フィールドを知らずして
カンボジアを語ることができないというほど、
カンボジアの近代史において
キリング・フィールドのことを避けて通るわけにはいきません。
今からわずか35〜40年前にポル・ポト政権の
クメール・ルージュによる大量虐殺が行われました。
原始共産制を目指すがために、
罪のない多くの人の命を奪ったポル・ポト政権。
当時の人口800万人のうち300万人、
3人に1人が犠牲になったとも言われています。
キリング・フィールドはカンボジア全土に300ほどあります。
ここチュンエクは慰霊塔があることもあって多くの人が訪れます。
実際に来ないと感じないものがあるキリング・フィールド
キリング・フィールドには、
市内のホテルからトゥクトゥクで30分ほどで到着しました。
6USDを払い、入り口で日本語音声の機器を借ります。
解説の音声を聴きながら、雨が降り雷が鳴る中
キリング・フィールドをひとり歩きました。
天気のせいか、訪れている人はかなり少数でした。
まだ遺骨や衣類が地面にもある虐殺現場や、
聞くのも辛い解説で、思わず立ち止まったり
足が進まなくなったりしながらも
なんとか事実を受け止めながら歩き切りました。
同じ名前の「キリング・フィールド」という映画があります。
それも事前に見てきました。
この映画「キリング・フィールド」は
1974年のカンボジアに乗り込みピューリッツア賞を受賞したアメリカ人記者と
現地人の助手との友情を描いた実話を基にした映画です。
ポルポト時代を扱った映画は少ないので、かなり貴重です。
カンボジアの悲劇や緊張感が結構リアルに描かれています。
誰でもおすすめできる映画ではありませんが、
カンボジアについて知りたい方は観るべき映画だと思いました。
悲劇以外にも感動する内容に仕上がっている映画です。
観て感じるものがたくさんありました。
しかし、実際に来ないと感じないものがあります。
だからこそ、本当に来て良かったと思いました。
そしてこのタイミングでキリング・フィールドに来て
本当に良かったという奇跡が起こりました。
日本人の若者ふたりに出逢いました!
トゥクトゥクのドライバーに長い時間待っててもらったこともあり
さあ帰ろうと出口に近づいたときに
キリング・フィールドのスタッフに呼び止められました。
「日本人いるよ、ビールでもどう?(英語)」って(笑)
キリング・フィールドをひとりで歩き、
深く深く考えさせられた直後です。
だから最初は「えっ!?そんな気分じゃないよ、、」
と瞬間的に思いました。
でも、その方向を見ると
スタッフのカンボジア人たちとふたりの日本人が笑顔で座ってました。
すぐに「OK、少しだけならいいですよ。」と答えて
みんなのところに行きました。
みんながおつまみをつまみながらアンコールビールを飲んでいて
思わず笑顔になりました(笑)
そのふたりの日本人は、ともに年齢は二十歳。
僕の半分以下でした(笑)
ふたりはとてもたくましく、
いくつもの海外の国々をひとり旅する若者たちでした。
僕が海外のひとり旅を始めたのは4年前の
41歳のときですから正直うらやましい。
(まあ、歳は関係ないですが 笑)
ふたりはキラキラ輝いていて、エネルギーがありました。
年齢に関係なく、そういうアクティブな日本人が
もっと増えたらいいなと思いました。
僕自身も、そういうきっかけになればいいなと思っています。
負の遺産の存在意義を2つ感じました。
そしてもうひとつ奇跡がありました。
なんと、その日本人のひとりが宮崎市在住の人でした(笑)
もしプノンペンに来てなかったら、
今日キリング・フィールドに来ようと決めなかったら
この時間じゃなかったら、もしそそくさと通りすぎて帰っていたら、
など考えると、本当にこの確立の凄さにびっくりです。
この2人の若者たちの出会い、そしてキリング・フィールドの
笑顔のスタッフたちとビールで乾杯したおかげで
来てよかったという気持ちが何倍にも膨れ上がりました。
最後にキリング・フィールドを訪れて
「負の遺産の存在意義」として感じたことを2つ書きます。
ひとつは、
「日々の当たり前のことに感謝して、幸せを感じて生きること」
もうひとつは、
「子供たちの未来のために、勇気や希望をもって生きること」
この2つを忘れずに生きたいと思います!
〜すべては、自分を変えることから始まる。〜
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