【トゥール・スレン虐殺博物館(S21)に行ってきました(動画あり)】
カンボジアの歴史について調べていると必ず出てくるのが
昨日訪れたキリング・フィールドとこのトゥール・スレン虐殺博物館です。
キリング・フィールドを訪れただけでも
心が痛くきつく締め付けられる思いでしたが、
カンボジアを知るためにも覚悟を決めて行きました。
トゥール・スレン虐殺博物館は、プノンペンの街の中の一角にありました。
当時は政治犯収容所の暗号名である「S21」と呼ばれていました。
かつては学校の校舎だったこの建物に
クメール・ルージュが罪のない一般人を収容し、
尋問や拷問したり虐殺したりと想像し難いことをしていたのです。
4つの校舎がありました。
当時のまま残されている教室など非常に生々しいので
生々しい内部の写真はアップを控えます、、
今からわずか35〜40年前のことです。
一歩踏み入れることが、これほど恐ろしいと思ったことがありません。
2年9ヶ月の間に2万人ほどの人が収容され、
生還できたのが8人だけと言われています。
原始共産主義社会を目指すポル・ポトは、
自分の政治体制を反対するインテリ階級を恐れ
医者や教師や技術者などの知識人を次々と収容所に送り虐殺。
メガネをかけていたり、文字を読めたりするだけでも
同様に収容所に送られ虐殺されたのです。
カンボジアの平均年齢が極端に若いのは、
こうした過去があるからです。
残虐な出来事ですが、
同じ地球上の人間たちがしたことなんですよね。
自分の命を守るために、という人も数多くいたでしょう。
実はプノンペンに着くまで、キリング・フィールドにも
トゥール・スレン虐殺博物館(S21)にも行くことを考えてませんでした。
旅とは不思議なものです。
このタイミングで行けて良かったです。
平和や幸せについて深く考えるきっかけになりました。
カンボジアに感謝します。
〜すべては、自分を変えることから始まる。〜
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