知識と学問の部門を分類し整理した万学の祖〜プラトンの弟子「アリストテレス」
アリストテレスは、人間の本性が「知を愛すること」と考えた。これが「哲学」の言葉の語源となった。
アリストテレス(紀元前384年〜紀元前322年)は、ギリシャのマケドニア王の侍医を務める父の家庭に生まれた。貴族階級の一員としての教育を受けたアリストテレスは、17歳のときにプラトンのアカデメイアで学び始める。プラトンはその時60歳、すでにイデア論を考案していた。アカデメイアでは、学生のあとに教師として合計で20年過ごした。
人間の本性が「知(ソフィア)を愛する(フィロ)ことにある」と考えたアリストテレス。ギリシャ語でこの「知を愛すること」はフィロソフィアと呼ばれ、やがてヨーロッパの各国でフィロソフィアが「哲学」を意味する言葉の語源となった。
少しも狂っているところがない天才などいない〜アリストテレス
イデア界って本当にあるのか?もしあるとして、それが何の役に立つのか?
アカデメイアで最も優秀だったアリストテレスであったが、後継者には選ばれなかった。教育の仕事から解放されたアリストテレスはアテナイを離れ、イオニア地方に旅立つ。そして野生の生き物を研究する機会を得た。
プラトンに敬意を持ちながらも、イデア論に「イデア界って本当にあるのか?もしあるとして、それが何の役に立つのか?」と疑問をぶつけた。
イデア界にある馬の存在を証明することはできない
イデア論とは「イデア界こそが本物の現実の世界で、この世界は不完全なコピーの世界である」ということだが、例えばイデア界にある馬の存在を証明することは確かにできない。
たとえ本当に「本物の馬」という存在がイデア界にあったとしても、イデア界の馬とこの世界の馬について「何の役に立つのか?」と言われればそれも確かにそうである。馬は馬でしかないのだから。
アリストテレスはイデア論を無意味に物事を二倍に増やしたと批判し、「馬とはどういうものなのか?」を定義した方が役に立つと考えたのだ。
たとえば、子どもは馬を見る度に、他の動物と馬と共有している特徴や共有したない特徴を見て馬を馬たらしめているものを認識する。だから馬のイデアがあるのではなく、馬の形相を理解したということだ。
論理学の基本モデルになった「三段論法」。人類史上最初の形式論理体型であった。
アリストテレスはあらゆる自然界の観察をして、体系的に分類し整理した学問を始めた。現在、物理学や天文学、論理学、倫理学、形而上学、生物学など様々な部門の分類をした。万学の祖と呼ばれる所以である。
分類を進める中でアリストテレスはひとつのパターンを見出した。それが、2つの前提と1つの結論からなる「三段論法」だ。例えば、「あらゆる人間は死ぬ」「アリストテレスは人間だ」という2つの前提と、「それゆえアリストテレスは死ぬ」という1つの結論というものだ。これは、人類史上最初の形式論理体型であり、19世紀にいたるまで論理学の基本モデルになった。
どの政治体制でも最良はない。腐敗した後は革命が起き別の政治体制が始まるのだ。
アリストテレスはプラトンのイデア論を批判した。と同時に、プラトンの「国を司る王は、イデア(究極の理想)を生涯に渡って探求し続ける哲学者であるべきだ」とする「哲人王思想」も否定したわけだ。
そしてアリストテレスは国家を理想論ではなく、政治体制を特徴から分析して考えた。国家の政治体制を「君主制」「貴族制」「民主制」の3つに分類したのだ。それぞれの違いは、誰が国家を支配するかという点だ。君主制はひとり、貴族は少数の特権階級、民主制は全員が支配する。
結局どの政治体制が最良ということはなく、いずれも腐敗してしまう可能性は秘めているとアリストテレスは考えた。腐敗した後は「革命」が起こり別の政治体制が始まるということまで。アリストテレスの分析は、歴史が証明している。
自分に勝つこと。これこそがこの世で最も難しい勝利である。〜アリストテレス
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